parity bit #1

駅のホームの乗車位置を示すタイルにだって明確な存在意義があるのに、あたしはいったい何をやってるんだろう。

その明確さに価値があるとすれば、白線とか誘導用ブロックのほうがその意図は明確だし、重要度も高い。安全性と利便性なんて比べるべくもないものだからね。でも、あたしがもし乗車位置を示すために敷設されたとしても、きっと彼らを羨ましいとは思わないだろうな。責任を負うのが嫌とかそういうことじゃなくて、明確に必要とされるってことに後ろめたさのようなものを感じるから。

それだって逃げてることに変わりはないってことはわかってる。与えられる役割に反発するほど子どもじゃないしね。その与えられように自らの意思がまったく介在しないなんてことはないし、与えられようを恨む暇があったらできることなんていくらでもある。だから、あくまでも後ろめたさなんだ。要するに弱ってるってこと。

なんでも他人のせいにするよりはマシだけど、ことさら内省的になればいいってものでもないのもわかる。自分の弱さを呪うよりは、むしろ他人のありようを恨んだほうが結果につながることも多い。でもそれって、必ずしも物理的に迷惑をかけるわけじゃないにしても、そのひとを踏み台にしてることには変わりないと思うんだよね。

誰かを電車の中に残すのでなければ、電車を降りたあとで後ろを振り向く必要がある状況はほとんどない。乗るときと降りるときでは風景はまったく違ってくる。乗車位置と降車位置はまったく同じなのに、それが乗車位置と呼称されるのは、それが降車位置として認識されることがないからだ。

「ただいま。」

そっとそのタイルにつぶやいてみる。振り返ってみたところで、それが示すものが乗車位置であることに変わりはない。それが現実だ。気持ちのありようで風景は変わるものだけど、その役割までをも変えられるわけじゃないんだ。世界はそこまで優しくはない。

「なんでもないよ。」

そう、そんな戯言に応えるのは君の仕事じゃない。君は悩むことなく、君の導くべきひとたちを導くべき方向に導いていればいい。ときには君の存在に頓着しないひともいるだろうけど、それだって君のせいじゃない。優しくない世界の一部だとしても、その役割を果たすことが君の優しさだと思う。世界を構成するもののひとつひとつが悩み始めてしまったら、あたしたちは生きていけないからね。

parity bit #0

八つの言葉を並べたら、そこでそっとひと呼吸。それがとっても大切なこと。

伝えようと思ったことが百パーセント伝わるなんて幻想は持っていない。自分の予想通りに伝わらないと気が済まないってほど我侭でもない。そもそも確実なものなんて何もない。確実にしようともがくことにだってそんなに意味はない。確かめたいのはただ受け答えが整然と行われているってことだけ。

呼吸を忘れて言葉を延々と繋げていくことで、かえって危険に晒される繋がりがあるってことに気づくべきなんだ。話の合間にちょっとだけ立ち止まって相手の顔を見てみる。『ちゃんと伝わったのかな』って自分に問いかけてみる。何を問うわけでもなく、特別なリアクションがなくったって、『あれ、おかしいな』って思う瞬間はあるはずなんだ。ずいぶんと即時的になってしまった人間だけど、そこまで凡庸にはなってないと思う。

データの内容すべてをその場でベリファイしたいわけじゃない。そんなことに帯域を割きたいわけじゃない。ほんの一ビットの曖昧な確認だけで、ひとはずいぶん安心するものなんだ。それがいろんなものを繋いでくれる。それだって無駄なストリームには違いないけれど、それは過程を共有している感覚を含む過程そのもの、愛すべき無駄だ。

あらゆるものが偶数個で存在する電子部品の世界にあって、奇数個のメモリチップが実装されてるSIMMモジュールって、けっこう美しかったよね?