真的世界

例えば君を僕の視界の
中心に据えることで初めて
見えてくるものがあって

そんなちょっとした感動を
なんとか伝えようとして

唐突にありがとうって言って
君を困らせたりするけど

それが僕の真的世界
君だけを想う僕の世界

例えば君が僕の隣を
歩いていることで初めて
見えてくるものがあって

それが君を頷かせたり
不機嫌にさせたりするけど

同じものをふたつの感性で
感じていけるとしたら

それが僕の真的世界
君と僕を取り巻く世界

例えば君を想うことが
形作る僕の伸ばす腕が
掴み取るものがあって

それを君に見せることで
君の微笑が柔らかくなって

緩やかになる空気がそっと
循環していくとしたら

それが僕の真的世界
君と僕を繋げる世界

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thyme

あたしは苦い
あたしは苦い

ほら

あなたが言った
あたしは苦い

粉状にして
仕上げにひと振り

それだけだもの
そりゃ便利だろうけど

入れ過ぎたら苦いよ
あたりまえじゃん

そんな言うなら
挽かなきゃいいじゃない

あたしは苦い
あたしは苦い

でも

誰か教えて
あたしは苦い?

葉っぱのまんま
お鍋に入れて

放っておいたら
どんなになるかな

頃合を見計らって
捨てちゃっていいから

ちょっとだけ
味見してくれないかな

それでも苦い?
それでも苦い?

ねぇ

あなたにとって
あたしは苦い?

parity bit #3

「あ、いいなぁ、これ。」
「買っとく?」
「いや、買わないけど。」
「買わないの?」
「いや、たぶん来週くらいには買ってると思う。」
「来週?」
「これ自体についてもそうだけど、同じ価格帯の競合製品についてもある程度調べないとさ。」
「でも来週くらいには買うんでしょ?」
「うん。もう十割これ買うと思うよ。」
「ま、一点ものじゃなさそうだしね。」
「そそ。POPの貼られかたから見て、今後一週間で日本中の在庫が捌けちゃうような性質のものでもないでしょ。」
「時間とか手続きが必要なこともある?」
「ま、そういうこと。」

ファーストインプレッションでこれだけのインパクトがあれば、いくら優れた競合製品が見つかったとしても、あたしはいずれこれを買うはずだ。それは確信に近いものがある。だとしても、それらのことについて調べるのに費やす時間が無駄ではないことも、あたしは知っている。それを手に入れたあとで、ほんとうにそれでよかったのかどうかなんて考えるのは、その対象に失礼だと思うし、せっかく手に入れたばかりのものを愛する気持ちが鈍る。それはもったいないことだからさ。

「石橋を叩いて渡るってタイプじゃないと思ってたんだけど。」
「いや、叩くよ。そりゃもう重箱の隅を針で突くみたいに叩くよ。」
「そうだっけ?」
「叩くよ。渡らないけどさ。」
「あ、そっか。」
「単に石橋のスペックが知りたいだけだから。設計者の心意気如何によっては、敬意を表して渡ってあげなくもないけど。」
「ま、いくら丈夫でもね。」
「美しくない橋は渡れないよ。」

何かを選択する局面において、できるだけ多くの選択肢をリストアップしようとするのは、あたしの癖のようなものだ。それぞれの選択肢が一般論としての正解である確率とか、行為として成功する確率なんかもある程度推測できる。だけど、数値の高い選択肢が自分にとっての正解であるかどうかはまったく別問題。てか、あたしの場合はたいてい逆だったりする。だったらなんでその作業を毎回やっているのかというと、たぶん確率が百パーセントのものと零パーセントのものを除外するためだと思う。誰がやっても同じ結果が出るものや、何もしなくても同じ結果になるものに対して、愛とか労力とかを注ぎ続けるのはつらいから。ま、零でも百でもないってことだけ判れば十分。あとは好きなものを好きって思ってるのが間違いなく正解。どんな結果になってもね。

「じゃ、来週くらいにまた来ないとね。」
「いや、たぶん脇目も振らずに買って帰るだけだから。つきあわなくてもいいよ。」
「いや、その脇目も振らずに買って帰るところを見たいわけで。」
「そう?」
「そういう瞬間に立ち会えるっていうのが、友達冥利ってもんじゃないの。」
「そんなもんかなぁ。」
「そんなもんよ。」
「じゃ、つきあって。」
「うん、いいよ。」